2007年01月25日
はじめての魚 そして今も

みんな覚えてる?
初めて釣りに行った日のこと
生まれて初めて釣り上げた魚のこと。
僕はよく覚えてる。
幼少の頃のある日、父親に連れられて行った海。
初夏のまぶしい日差しと、熱い石畳。
場所は西舞子の海岸の西のはずれ、投げ釣りで有名なところ。
父親に手渡された竿は4mくらいの磯竿、テレスコ型の黒いやつ、リールは3000番くらいのものに4号ほどの太いナイロンラインが巻いてあったと思う。
何かこうパッとしない…、まぁ当時の一般的なタックルだったのだろう。
釣法は何というか、今で言うチョイ投げか、前打ちなのか、とにかく目の前の沈み岩の前から広大な藻場の中にかけて、イシゴカイを餌に1本針で探るようなかんじだったな。
幼かった僕の頭には「釣り方」や「釣ること」、そんな根本的なことさえ何もわからなかったはずだけど、針や餌・魚がそれに食いつく様子なんかをイメージして、見よう見真似で竿を握り仕掛けを操っていたね。

メバルの溜まり場
そして釣り上げた初めての魚…
それは メバル だった。
きっと僕は、瞳を輝かせて見つめていたんだろうな。
いや、今も同じ、僕は大人になり顔の形も変わってしまったけれど、大きなキラキラの幼い瞳を持っている(^^;
あの日のメバル、たぶん20cmくらいだっただろうか、当時の目線で見てもそれほど小粒な魚体ではなかった。
竿を持つ小さな手に伝わる新鮮な感触、生命のチカラ。。。
美しいボディライン、ぼんやりと且つ存在を隠さない小粋な縞模様、トゲトゲの危なっかしいヒレ、そして愛嬌のある大きな目。
「魚ってこうだよね」ってかんじの典型的な特徴をみんなくっつけて強調したような魚だから、幼い頭でもその姿を記憶に焼き付けるのは容易かった。
そもそも、それがメバルという名前の魚だと覚えたのは結構後だったけれど、あの日感じた生まれて初めての魚の引き、目の前の海藻の中から魚が飛び出すという事実、手に入れた美しい魚…、メバルは僕を魅了した。

現在の西舞子の様子
そして20年が経ち、僕は今もメバルを釣っている。
そう、いつも忘れてないよ、あの日の素直な感動を。
そうそう、ここで気付いたアナタは鋭い!
初めての釣りで既に、僕にとってメバルは「昼間釣れる魚」という認識であった。
だから、それから今日までもう何百回も何千匹も、僕は昼間に釣ってきた。
このブログを立ち上げたのはまだまだ最近のことだから、過去の痛快な釣果記事が無いのは残念で仕方ないが、僕は昔と同じ西舞子で、25cm前後の良型メバルを何匹も釣り上げてきた。昼間に。
「メバルは夜釣るもの」っていう変な常識があるのには僕はとても違和感を感じる。
夜行性の感が強い魚種だから、夜中に活発に捕食活動をする。それはわかってる。
けどよく考えてごらんよ、大勢のメバル狙いの人々が毎晩シケた漁港で竿振って、ナンボのメバルが釣れてる?って。
夜になれば、人造のストラクチャーに釣られに集まってくる魚。そんなのいるわけない。もちろん、コンスタントに釣れる場面もある。けれど、「考えない人」はメバルには勝てない。
一方で、「メバルの居場所」を意識し、常に考えて攻めている人たちは、昼間だろうと雨天だろうと、なにかしら釣ってくる。僕もその一人。
そして、さらに単純な話をすると、「メバルは消えたりしない」ということ。
昼と夜とで釣れる釣れないがはっきりする釣り場がある。
しかし夜中に釣れたメバルが昼間釣れなくなったからといって、メバルが消えたわけではないということ。
メバルは行動範囲の狭い魚だ。捕食目的・休息目的・また産卵目的など状況により、そのエリア付近の「居心地の良いどこか」にいる。それを探し出せば、昼でも夜でも関係なくなるというわけ。
大丈夫、昼間じっとしているメバルも、視覚と側線はきちんと稼動しているようで、餌を見せれば何らかの反応を見せるから。
べつに「昼間釣れ!」って言ってるわけではないんだけどね、夜中にやってて釣れない釣れない言ってる人は一度昼間にやってみたら、その釣り場では昼に釣れるかもねって話。
それから昼間は明るい、雨天でも夜中より絶対明るい、あたりまえだけど。見えるって、人間にとってとても大事。安全の意味でもそう。なにより、釣り場の状況を把握するのにこれ以上重要で合理的なものはない。
夜行く釣り場でも、できるなら明るい間に下見をしたほうがいい。現場の状況を見て、それを攻め方に反映させられるのなら、きっと釣果は上がる。
魚の居場所×攻め方−固定観念=魚
こんな公式が成立するとき、僕は嬉しくてたまらない。考える喜び、そして新たな発見を受け入れる余裕、これを常に忘れないでいたいものだね。



